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れり日

おいでくださり、ありがとうございます(*´ω`)                                       メール: letitbeneko@gmail.com

梅雨らしく、じめっとした話題

 こんにちは、寝子です(*´ω`)

梅雨の合間の晴れの日には真夏日が多くなってきましたね!

すっかり半袖と扇風機の今日この頃です。

 

先日、夕涼みがてら公園に行ったら、子狸がいましたよ。

しっぽがリスみたくて可愛かったです。

猫の縄張り?だったのかな?

近くにいた猫がやってきて、ギャルルルとけん制され、子狸は夜の住宅地に消えていきました。

また別の日にはネズミ(大きめ)が大急ぎで車道を渡っていたり、花火の日には公園のコウモリがバタバタ飛びまどっていたりと、住宅地の野生動物とよく遭遇します。

もちろんカラスもいて、一度ゴミを玄関の前に置いておいた時に狙われてから、隠しているにもかかわらず覚えちゃったみたいで、たまにゴミ出しを監視しに来たりして。

ゴミ出しから帰ってくる時にカラスが見に来ているとビックリしますが、あの時のカラスなんだなと思うと賢いなあと感心したりもします。

そこへいくと地域猫は拠点でごはんをもらっているっぽいので、野生度は半分くらいなのでしょうかね。

まあそんなこと言い始めちゃうと、森の中の野生と住宅地の野生も違いそうですし、なかなか複雑ですよね。

環境に合わせて柔軟に生き残っていけることは素晴らしいです。

大きい要素だったりしますもんね、環境って。

「環境を変えなきゃ生き残れない」場合も「環境が変わると生き残れない」場合もありますもの。

いつだって生き残りをかけているんですね!

そんな風に人間以外の動物も同じ町内でたくましく生きていると思うと、少し心強かったりもするものです。

色んな種類の動物を許容している=自分も許容されている感じがするんですよね。

 

・・・持病が発症する前から、私はどこか許容されていない感覚がありました。

人間社会の不文律?や非言語コミュニケーション?がよく分らず、どこが分らないのかも分からないまま、上辺だけ取り繕ってやりすごしてきてしまいました。明確な言葉がないと分らないのです。

社会の「当たり前」の理由も分からず、周りに聞いても「そういうもんだ」くらいだったので、見よう見まねだけ人間っぽく振る舞って生きていました。

「体で覚える」と言ってしまえばそれまでですが、きちんと仕組みを理解できないことをやっているのはなんか違うと思います(熟練の技など「体で覚える」のは分ります。感覚を常態にするんじゃないかなと予想)。

そんな風に生きていると、どこか無理が出てしまってうまくいかないことも多く、言い返していい場面での言い返し方が分らなかったり、そのストレスが怒りとなって更にその怒りを出す方向性が分らず攻撃的になったりもしちゃって「アイツヤベーヤツ」となってしまうことも多かったですね(持病特有のイライラ感がこれに加担した時もありますよ)。

怒りではない時には許容してくれる人にすがったり依存したりを繰り返し、結局こじれて許容されていない感覚だけが上書きされるみたいな。こちらは逆に弱気すぎ。

人生の出発地点からそんな感じでした。

生まれてから40年も経ってしまった今、環境を整えて色々なことを少しづつ理解しつつあるところです。

町内でも、彼にもお友達にも、許容してもらっているのが分りますし、そんな許容されている安心感の中で学べることはラッキーですよね!

ん?許容されている安心感があるから学ぶ気になった、とも言うのかな?

自分が許容されていると、許容範囲も広がる気がしますもの。

 

住宅地の野生動物の話しから、許容されてる感の話しになっちゃいました。

厨っぽい話しかも知れないけど、そうなんだからしょうがない(;^_^A

 

お読み下さりありがとうございました。